54 教師なら、ギリギリを攻めろ

仕事で成功する

みなさんこんばんは角松利己です。
角松利己は「角松敏生」とは、似て非なるものです(笑)。理由を知りたい方は、こちら

さて、今日は、「教師がギリギリを攻めるべき理由」についてお話しします。

「え、それってどういうこと?」

こんな声が聞こえそうですが、まずは聞いてください。

あなたは、ギリギリを攻めていますか?

ここで「ギリギリ」というのは、「やってOKの領域とNGの領域との境目のこと」です。

ちなみに、私が今年度やった「ギリギリ」は、

1.退職金の額を生徒に話した。
2.生徒とメールのやりとりをした。

です。

順番にお話ししますね。

生徒にリアルを伝えたいなら、お金の話はマスト

退職金の額を伝えたのは、「選択国語表現」の授業をとっている生徒に対してです。

この授業は「柔軟かつ弾力的な運用」が授業担当者に任されていたため、私はかなり自由にやっていました。年間を通じての授業内容としては、ほぼ新聞記事を題材として、語彙力、社会理解、意見表明の3つの観点から構成していました。

そして、これと同じくらい重視していたのが「起業的視点の育成」です。「脱サラリーマン的視点」が今後の社会において明らかに必要になってくることは周知の事実です。そのため、生徒には

・自分が「企業の社長」や「自治体の長」の立場ならどうするか?
・今ある自己資源を最大化するにはどうすべきか?

などについて、従来のパラダイム転換を図るための材料を投げかけていったわけです。

特に「労働とお金の関係」については、リアリティを追求するため、私自身の退職金の額を生徒に伝えたりもしました。

・・・「退職金の記事」は、いかがでしたか?
「多い、少ない」ではありません。

その額を50歳で、55歳で、60歳で支給された場合、残りの人生をどう過ごしていくべきか?
その額を支給されるために、得るものと失うものは何か?
高校生にとっての「アルバイト」とは、どういう意味を持つのか?

という話に広げていくのです。

ちなみに、私は自身の給与も生徒に伝えたことがあります。

教師の時給は何歳でいくら?
教師の働き方を客観的にみるとどうなる?
最も効果的な時間の使い方とは?

こんな感じで広げていきます。

私にとって、「退職金の額を生徒に伝える」意味は、リアリティの追求です。

お金の話は、誰にとっても興味深いもの。授業担当者が自身の給与や退職金の額について話し、人生を考えるための問いを投げかければ、多くの生徒は耳を傾けます。自分が志向する生き方を考え始めます。

合理的で効果的な仕事がしたいなら、メールはマスト

次に、生徒とメールのやり取りをした件です。
誤解のないようにお伝えしておきますが、もちろん授業の一環ですからね(笑)。

今年度、3学年団に所属した私は、夏休みのひと月前くらいに、あることを考えました。

「就職・進学時に必要な志望動機や志望理由書、そして小論文指導のほとんどを、メールで完結させよう。」

これには理由があって、

・生徒とのやり取りを「確実に」行えること。
・生徒とのやり取りを「スムーズに」行えること。
・生徒とのやり取りに「時間的なゆとり」ができること。
・試験日までの計画が見通せること。

この4点が私にとっても生徒にとっても、大きな魅力であると感じたからです。

従来の小論文指導は、特に夏季休業中がそうなってしまうんですが、

私の知らないうちに、生徒が私の机上に添削依頼原稿を置き、
しかも、「いつまでに見てほしい」といった生徒からのリクエストも知らないまま、
添削が済んだら生徒の自宅に電話をかけて取りに来てもらうけれど、
意外に締め切りが近かったりすることが後でわかり、
そんなケースが多く重なったりするため、
ゆとりのない中で仕上げていく、

といった感じでした(苦笑)。

しかし、「生徒との連絡用メルアド」を取得して生徒に事前周知し、やり取りに関するルールを徹底したことによって、この夏はとても納得のいくやり取りができたと感じています。

しかも、何よりの副産物として、生徒からの信頼を勝ち得ることができました。

4か月で約100通のメールのやり取りをして添削指導を行いましたが、やり取りをするうえで、生徒を勇気づけ、叱咤し、最後まで付き合うというプロセスそのものに、大きな価値があったと感じています。

自己開示とは、「誰が、何について、どう語るか」

さて、この2つの事例から言えることは何でしょうか?

この記事の趣旨は、「教師はギリギリを攻めろ」でしたね。

一つ目の「ギリギリ」は、「自己開示」です。

あなたは、自身の給与や退職金の額を、生徒に伝えたことはありますか? おそらく、ないと思います。

・「お金の話」は下世話なことであり、
・それは生徒にとって「不必要な」情報であり、
・授業が興味本位で終わりかねない可能性があり、
・生徒経由で同僚や保護者に伝わったりしたら、「余波」に対する懸念も出てくる。

いろんなことが問題視されそうな気がしますよね。

でも、生徒に本質を理解してほしいなら、

・生徒にとって最も身近な大人である教師が、
・生徒が知りたいと思っていることについて語り、
・生徒自身に人生を考えさせる。

そのプロセスに価値があるのではないでしょうか?

「教師の自己開示」は、実は至る所でなされているはずなんです。

「今日ね、先生が朝食の支度をしていたら・・・。」
「うちの3歳の息子が昨日の晩ね・・・。」
「うちの夫は、家事を全然手伝ってくれなくて・・・」

とか、いろいろ言ったりしていませんか?

もちろん愚痴ではなく、「生徒に考えてもらいたい」と思えるような話題を提供しているわけですよね。

あなたが普段相手にしている生徒たちの年齢や発達段階に応じた話題を提供し、生徒にとって大切なことと思われる「何か」が伝わればいいんです。

私は高校教師であるため、これから社会に巣立とうとする生徒に対しては、人生の本質について話す機会が多くあります。そしてこのことは、私にとって「好き」で「得意な」ことでもあります。単純に、話すネタが多いんです。日常的に、「そのようなこと」しか考えていないので(笑)。

グレーゾーンには、無許可で侵入せよ

そして、二つ目の「ギリギリ」は、「グレーゾーンには、とりあえずチャレンジしよう!」です。

私が小論文指導用のメルアド設置にあたってやったことは順に、

1.自身の名前でG-mailのフリーアドレスを取得した。
2.趣旨説明をしたプリントを1枚作って、3学年担任5人に見せた。
3.反応がなかったので、夏休みの1週間前に実施する旨を口頭で担任に伝えた。
4.対象生徒を集めて趣旨説明をした。

だけです。時間や手間は、ほとんどかかっていません。

ここで大切なことは、

・「少ない労力で大きな効果が期待できること」をチャレンジの対象にすること。
・まず、自分から動き出すこと。(つまり、事前に誰かの許可を得ないこと)
・形式的な周知は行うこと。

なんですね。

まず、チャレンジの対象は、「少ない労力で大きな効果が期待できること」に限定します。「やればいいことだと思うけど、実施するまでに手間も時間もかかりそう」なことは、一切してはいけないということです。

つまり、「個人レベルでほとんど準備もいらずにできること」に絞るわけです。従来にはなかった試みを行う場合、この発想は不可欠です。でも、「それをした方がうまくいく」と感じるならば、どんどんやってみるべきです。仮にうまくいかなくても、ほとんど傷は負いません(笑)。

そして、実はこれが最も大切なことなのですが、事前に誰かの許可を得ないことです。

どんな提案でも、従来行われていなかった話を持ち出せば、決まって「反対勢力」が現れるものです。そして、「勢力」とまでいかなくても、たった1人の反対意見で、多くの「価値ある提案」が潰されるのが学校という組織です。「利益」を考慮していないため、当然そうなってしまうんですけど。

だから、「これはいい!」と感じたなら、

・明らかに生徒にとっても教師にとっても利益になると思われる試みを、
・すべて個人レベルで実行でき、責任も取れる範囲で、
・まず、走り出してしまう。

ことです。

私はズルい人間なので、同僚にプランの説明をする前に、生徒に話してしまいます。

「あのさ、君たちにとってこんないい提案があるんだけど、実施したら嬉しい?」

こんな風に聞いておき、その反応を後で同僚を説得するときに使ったりします(笑)。

・・・残念なことに、教師というものは、新しい提案に対しては厳密で客観的な検討プロセスを踏まない人種です。

しかし、これを逆手に取るとどうなるか?

言い方は良くないですが、「言ったもん勝ち、やったもん勝ち」ということです。

いつも何かしらの改善アイディアを考えていれば、ここぞという時にそのアイディアを披露する機会が与えられます。普段からそのことを考えていて、メリットとデメリットを熟知しているわけですから、意見を求められたらきちんと説明できますよね。

でも、「意見を求められていなくても」いいんです。言えば。あなたの提案が価値のあることであれば、必ずうまくいきます。

グレーゾーンを見極め、攻略せよ

・・・ところで、「生徒とのやり取り専用アドレスの取得」における「グレーゾーン」とは、何でしょう?

実施前の私の最大の懸念は、個人情報保護および管理という問題でした。

やり取りするプロセスで、必ず「生徒のアドレス」がこちらにわかります。メールの閲覧にはパスワードが必要です。私は3学年の担任と添削指導に関わる可能性のある(メールでの添削をしそうな)同僚にあらかじめ伝えておきましたが、生徒にはもちろん知らせていません。

要は、天秤がどちらに傾くのか、それだけです。

「生徒のメールアドレス流出」と「メール指導から得られる利益」とを天秤にかけ、私は後者を選んだ。

これが、私にとっての「ギリギリ」ということです。

不安要素をあらかじめ潰しておきたいなら、「生徒のメールアドレス取得」に付随する懸念材料を事前に誰かに相談することも考えられますよね。

しかし、私はそれをしません。それをしてしまうと、教師は40年近くある教員人生を、ほとんど何も生み出すことなく終わらせてしまいかねないからです。

生徒に対して

「正しくあれ」と言い、
常に注意を続け、
同じことを、
同じやり方で続け、
みなと同じように振舞うことを求め、
頭が飛び出たら抑え込み、
まんべんなくできることを求め、
自分は新しいことにチャレンジしない。

学校は、そんなことを教える場ではありません。

少なくとも高校レベルにおいて言うならば、

・教師は生徒に「グレーゾーン」の見極め方を教え、
・教師自身は「グレーゾーン」を攻略する論理と実践力を身につけるべきです。

こう言うと、すぐに上げ足を取る人がいますが、「グレーゾーンの見極め方を教える」とは、生徒に「ルールの網の目をかいくぐらせる」ことではありません。

前提として「生きることの本質」を伝えておくことが必須です。

人生を生きるためには、

自己と他者の両方と信頼関係を結び、
長期的視点に基づき、
ゴールから逆算して、
合理的手法で、
労力を過度にかけることなく、
最大の効果を得ようとする。

こういった視点が不可欠です。

生徒はこれらを学ぶことで、

ストレスを発散させたり、
思い込みから解放されたり、
短期的表面的な決定を行わなくなり、

いい意味で「賢く」なります。

そして、生徒に働きかける以上に、私たち教師は、「グレーゾーンの見極めと攻略」に力を注がなくてはなりません。教師がそれをしなければ、学校はいつまでたっても「何も生み出さない場」であり続けます。

私が高校生の頃、それは今から37年も前のことですが、学校はあまり変わっていないような気がします。そして私の初任時、27年前の学校と現在とでは、やはり、それほど変わっていません。

時が止まっているのです。

表面的には、時流に合わせた様々な試みがなされています。でも、本質的な部分は変わっていません。

私たち教師には変化が求められており、生徒にとっては、身近に「賢い」大人の存在が必要なのです。

平尾誠二のパラダイム転換

ここで、面白いお話を紹介しましょう。国守博さんという方の、「攻める!士業メルマガ」の記事からの抜粋です。

平尾誠二氏が神戸製鋼の監督時代、ニュージーランドのトップクラスの選手をチームに引き抜きました。

そのトップの選手が初めての試合に出た時、予想外のことが起こりました。何かというと、開始10分ぐらいでファールをしまくったそうです。それも、あと1回で退場するというぐらいの回数です。

そして試合終了後、平尾監督は「どうしてあそこまで ファールをしたんだ?」と、選手に聞きました。

すると、そのトップ選手は「何を言っているんだ。私は初めの数分間で審判がどこまでをファールとするのかの境目を探っていたんだ」と答えたそうです。

「なんでそんなことをする必要があるんだ?」と聞くと、

「バカなことを言うな。まともに正面突破しても勝てるわけがない。ギリギリのところを攻めないと勝てないじゃないか」と言いました。

それを聞いた平尾監督は、パラダイム転換が 起こりました。

「世界のトップはそういう考え方なのか・・」

試合中は、どういうことだ?」と疑問に思っていたそうですが、試合が終わってみたら、そのトップ選手は一番トライを決めていました。

日本人は性格上、正攻法が普通だ。と考えがちです。ですが、世界のトップクラスは勝つために隙間を狙うというのが体に染み付いていました。

その時に、平尾監督は「日本はまだまだ世界では勝てない」と思ったそうです。

この考え方には賛否両論があります。特に、士業は法律家なので、それはどうなの?と思うかもしれません。

もちろん、退場するぐらいのファールはダメです。ですが、ビジネスにおいては、いかにギリギリを行くのかも大事です特に、組織力や営業力が弱い弱者ほどです。私はそう思っています。

あなたは、平尾監督の話をどう感じますか?

以上です。で、どう感じましたか?(笑)

自己裁量でグレーゾーンを攻めるのが、賢い教師。

学校は、教師は、「ビジネス」ではありませんか?

私ははっきりと「ビジネス」と考えます。「ビジネス」と考えなければ、生徒に利益をもたらすことができないからです。生徒に利益をもたらしたいと思うから、いろんなアイディアがわき、それを実行したいと願うようになるのです。「世間の厳しさを教えよう」なんて、微塵も思わないわけです。

しかも、学校の「組織力」は弱い。教師同士の討論は「神々の闘い」と切り捨てた論者がいましたが、その通りです。「正解」は、いつまで待っても出ることはありません。

「営業力」は? 皆無です。教師は売り込む必要もなく、サービスを提供する姿勢もありません。

学校の組織力の弱さを認め、教師という職業をビジネス的視点から捉えるならば、教師はもっと「グレーゾーン」を攻めていいはずです。どこが「ギリギリ」なのかを見極めたうえで、チャレンジする。今の学校教育に欠けている、そして、必要な考え方ではないでしょうか。

そのプランを検討する価値はあるか?
そのプランは少ない労力でできるか?
そのプランは大きな効果をもたらすか?
そのプランは、どこまでなら自己裁量でできるか?

あなたが勤務先でチャレンジできそうなことを、ちょっと考えてみてください。
きっと、生徒のためになるはずですし、あなたにとってこれから長い教員生活を送るうえでのモチベーションにもなると思います。

チャレンジしましょう。グレーゾーンを、攻めてください。

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