28 指示をするな。仕事を楽しめ。

7つの習慣

TEACHERS×7HABITS
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教師を捨てれば、教師になれる。
スキマ時間で、教師の常識をアンインストールする。

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□こんなふうに子どもは感じる

「おまえは劣っている。だからお父さんとお母さんが守ってやらなくてはならない。」
『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』

筆者スティーブン・R・コヴィーが気づいたこと。それは息子に誤ったメッセージを送り続けていたことだった。

学校になじめず、成績も振るわず、対人関係も未熟。そんな息子を励まし続けたコヴィー夫妻だったが、働きかけはことごとく失敗に終わっていた。なぜか?

「息子に良かれと思ってやっていたことは、実は私たちのレンズを通して息子を見ていた結果だと気づいたのだ。私たちの心の奥底を正直に探ってみれば、『あの子はほかの子たちよりも劣っている。何かが足りない』と思っていたことは明らかだった。自分たちの態度や行動を変え、どんなに言葉を尽くして励ましても、息子がそこから感じるのは、『おまえは劣っている。だからお父さんとお母さんが守ってやらなくてはならない。』というメッセージだ。これではうまくいくはずがない。」

コヴィー博士の気づきとは、

状況を変えたければ、まず自分たちが変わること。
そして自分たちが本当に変わるためには、ものの見方、パラダイムを変えること。

という点にある。

人に指示するのではない。まず、自分から行う。

生徒に学ぶ姿勢を教えたいなら、まず自分が何かを必死に学ぶことだ。あなたが寸暇を惜しんで何かを学ぼうとし、その姿勢を見せることで、生徒は学ぶ姿勢を学ぶ。いけないのは、生徒が学ぼうとする姿勢を見せないことに反応し、生徒をせっついたり叱ったりすることだ。教師の仕事は人に教えることではない。生徒や子どもに求める望ましさを、自らが体現することだ。その姿勢が最も周囲を惹きつけ、感化する。

誰かに指示する暇があるなら、自分からそれをやることだ。誰も非難せず、淡々と。

□掃除監督には行かない

ここ数年は、掃除監督に行っていない。同僚のほとんどが監督に行っている中で、私は他の仕事をしていることが多い。前任校でもそうだった。毎日集めている生徒が書いた生活記録へのコメント書きの時間が取れず、昼食を食べながら、それでダメなら昼休み後の清掃監督時に書くしかなかった。

昼食は生徒と一緒に食堂で食べるか、そうでなければやはり一緒に教室で食べるというのがルール。一度、学年主任の同僚がコメント書きをしながら昼食をとっている私のそばへ来て、「食事の時は、それに専念してほしい。食事指導を兼ねているから」と言われたことがあったが、その言葉を非常に残念に思った。

食事時であろうと、清掃時であろうと、やることをやる。なぜなら、生徒へのコメント書きは、優先順位がとても高い仕事だからだ。生徒との日々のやり取りを通じて、信頼関係が構築されていく。生徒の心の動きをキャッチして、即座に働きかけを行うことができるからだ。食事指導とは、「生徒と楽しく会話をしながら食べること」であり、清掃監督とは「さぼりがいないかどうか、それなりに掃除をしているかどうかをチェックする」ことを意味する。なんだ、どうでもいいことじゃないか(笑)。

優先順位のつけ方は、教師1人1人が決めること。そして、その行為が効果的かどうかは、生徒との関係性でわかる。私が全力で、しかも楽しそうにコメントを書いている様子を見ている生徒は、しばらくすると、私とアイコンタクトができるようになる。そして私が笑顔でうなずけば、だいたいのことはわかってくれる。たまに思い出したように掃除監督に行くこともあるが、全員そろって黙々とやっている。私は軽口をたたいて、すぐに教務室に戻って、次の仕事だ。

生徒に求めている暇があるなら、教師であるあなたが、あなたにとって優先順位の高い行為を楽しんですることだ。

もちろん、生徒を叱る必要もないし、生徒の仕事を肩代わりする必要も、ない。

「大丈夫。君たちなら、できる。あとは任せた。」

そう言って、あなた自身の仕事に打ち込むことだ。

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