17 大切なのは「目的」でも「方法」でもなく、「意味」

ビジネスの知見

現代人は「意味」を渇望している

山口周の『ニュータイプの時代』(2019年初版、ダイヤモンド社)には、次のように書かれています。

他者からモチベーションを引き出すには「意味」が重要であり、「意味」の与え方によって人には雲泥の差が生じてしまうということになれば、(中略)このような(モノが過剰に溢れる)時代にあって、ひたすらに金銭やモノを褒美としてチラつかせながら、意味を与えることもなく他人をコントロールしようとするのは典型的なオールドタイプのマネジメントパラダイムであり、今後は有効に機能しません。(P86-P87)

現在の日本は表面的には豊かであり、何も求めさえしなければ、収入がなくても生きていけます。身の回りのものはすべて100均で調達し、たまにアルバイトをするだけで十分でしょう。場合によっては、アルバイトすらしなくてもいいかもしれません。親のすねをかじりながら、永遠に慎ましく生きていけばいいだけの話です。

しかし、当の本人以前の問題として、多くの親はそうなってほしくないと願っています。

そして私たち教師は、そのような怠惰を阻止する役割を与えられています。

山口の言う通り、現代の生徒に必要なのは、確かに、学ぶ「意味」であると言えます。金銭や学歴、社会的地位はあるに越したことはないですが、今の若者にとって「どうしても欲しい」といった渇望の対象にはなっていないように思います。ほとんどの欲求が満たされた今、人は「生の意味」を深く考えざるを得ません。

では、今の学校や教師に、その意味を考えさせることができるのか、と言えば、無理でしょう。

少なくとも、学校が多様性を認めず、学校の教育活動に深い意味を見出すことができていない現状においては、生徒に生の意味を考えさせることは不可能です。

「なぜ?」と問い続ける

よってここからは、本質的な視点で物事を見つめる作業が不可欠になります。

単に成績を上げるとか、有名大学に合格させるとか、あるいは服装や髪形を整えるとか、敬語がきちんと使えるようになるとか、そういった社会的な好ましさを価値基準に据えていては、人生を乗り切ることはできません。

そうではなく、
「好きなことで食べていく」人生を、学校が認め、率先して生徒をそのような方向で育成していく必要があるのです。

「私は、何をするのか?」
「どのようにすれば、実現できるのか?」

この質問以前に考えるべきことは、

「なぜ、私はそれをするのか?」

という、「意味づけ」です。

旧来の価値観を無条件で受け入れるのではなく、「なぜ?」と何度も繰り返し、思考回路に必然性を植え付けなければなりません。

生徒が将来の進路をいったん決めた時に、

「なぜ、僕はそれをすることを選んだんだろう?」

と、心に何度も問いかける。

 

「医者になりたい」(なぜ?)
「小さい頃に入院していて、優しくしてくれた医師との出会いがあったから」(なぜ?)
「僕も、その時の医師のようになりたいと思った」(なぜ?)
「その医師はマジックが得意で、長い入院生活に飽き飽きしていた僕の好奇心を刺激してくれた」(なぜ?)
「僕は、いつも好奇心を感じ、それを満たしたいと思っている」(その目的を叶えるための手段が、医者になること?)

たとえば、このような感じです。

「なぜ?」を5回繰り返すと、心の奥の願いにたどり着く
と言われるゆえんです。

この豊かな時代にあって、「意味」を与えることは簡単ではありません。

しかし、「意味の与え方によって雲泥の差が生じる」と言われたからには、手をこまぬいているわけにもいきません。

私たち教師はいつも本質がどこにあるのかを追求し、生徒に「意味」を与えるための努力をする。
そして、そのためにも私たち自身が自らの生の意味を常に問い続けなくてはならないのです。

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