31 あなたは学校のスペシャリストですか? だったらそのキャリア、今すぐ捨てましょう。

ビジネスの知見

あなたのキャリア設計図は?

『転職と副業のかけ算』(moto,扶桑社,2019)
には、「自分自身の市場価値を上げる方法」として、
「3つのキャリア設計図」が挙げられています。

①出世によるキャリア
②職種のスペシャリストになるキャリア
③業界のスペシャリストになるキャリア

これを学校社会に当てはめて考えてみます。
今回は、③「業界のスペシャリストになるキャリア」についてです。

学校文化=上下関係

教師にとっての「業界」とは、学校を指します。もちろんこれはその人の勤務校だけでなく、過去に赴任した学校、これから赴任する学校、高校教師にとっての小中学校、都道府県の垣根を超えた学校というものの総体を指します。

「学校というものの総体」は、容れ物だけを指すのではありません。学校自体が内包する文化も含まれています。つまり、学校にふさわしい言動や振る舞い、学校の価値観に基づいた意思決定が常に求められているのです。

そこには上下関係が常に付きまといます。

管理職と役職付き教諭と一般教諭と講師、
そして仮に同じ教師という立場であっても年齢差による眼差しの違い、
教師と生徒、
もちろん生徒同士の関係でも上級生と下級生、
さらには同学年間においても学校という場で高い価値が置かれている能力の持ち主とそうでない者――――。

挙げていけばきりがありません。

スペシャリストが学校を支えている

この学校という「業界」において、教師が取り得るキャリアは、

・教科指導に関するスペシャリスト
・進路指導に関するスペシャリスト
・生活指導におけるスペシャリスト
・校務分掌におけるスペシャリスト
・部活動指導におけるスペシャリスト

の5点です。どのキャリアも多くの学校で必要とされる性質のものであり、その道を究めることで教師としての強固なアイデンティティが形成されるものです。

たとえば、「校務分掌におけるスペシャリスト」とは、言うまでもなく教務部を指しています。学校システムに精通し、教頭とともに日々の学校行事を弾力的に配置していく力は、学校という場においては非常に重要な位置を占めています。

彼らスペシャリストたちは異動のたびにふさわしいポストを与えられますが、彼ら自身もまたそのポストにふさわしく、水を得た魚のように存分に泳ぎ回ります。そうすることが彼らのアイデンティティであり、その学校が求めていることでもあり、双方の利害が完全に一致しているこの状態は、異論を差し挟む余地を持ちません。一見すると、誰もが「ハッピー」なわけです。

熟せば、腐る

しかし、本当に「ハッピー」を享受していいのでしょうか?
果物は日数を重ねるほど熟しておいしく味わえますが、人が熟すと、どうなるか?

私は、「熟した直後に腐り始める」と思っています。

彼らスペシャリストたちは、「その道」の経験が長く、造詣も深く、おそらく性格的にも向いていることが多いでしょう。あるいはその道に従事している年数がそれにふさわしい性格を作ることになったのかもしれません。いずれにせよ、彼らは自信をもって職責を果たし、周囲はその「世界」を維持しようとします。

しかし、この「世界」に住む住人は、いっさいの進化を止めてしまいます。
学校は、先にも述べたように「上下関係」で作られています。その学校に住んでいる教師は、スペシャリストに弱い。そもそも教科の専門性を買われて採用された教師にとって、教科指導以外の学校業務は、何らかのニーズに要請され、偶然携わった領域に過ぎません。そして、たまたま評価され、あるいは性に合っていて、あるいは結果を出したから、そうなっているのです。

しかし、その周囲にいる教師はスペシャリストたちに追随するのみ。新しく、時代に即したアイディアは出ることなく、「本当にこれでいいのか?」と疑問を抱きながら目の前の課題を処理していくだけです。

学校は、教え、教えられる世界。そして教師という人種は

・上下関係に従い、
・権威に弱く、
・スペシャリストに弱く、
・波風を立てることを嫌い、
・「長年やっていたこと」に高い評価を与えたがる生き物です。

しかし、若い世代を育成する立場に必要なのは、

・年齢や性別、立場の違いを超え、
・経験の有無にひるむことなく、
・事態を前進させることだけを考えて多様な意見を戦わせる、

この姿勢です。

学校のスペシャリストを忌避せよ

私は、「学校のスペシャリストになるキャリア」を求めません。というより、別項で取りあげた「出世によるキャリア」、「職種(=教科)のスペシャリストになるキャリア」と比較した場合、真っ先に捨てなければいけないキャリアだと思っています。

「学校のスペシャリストになるキャリア」とは、学校を円滑に回す観点から言えば、最も必要なキャリアと言えるでしょう。誰が「出世」しようとも、誰の授業が生徒の心を掴んで離さないものだったとしても、そんなことは学校運営上は問題になりません。学校運営が円滑に進むこと自体が最も大切なのです。それは多くの職員のみならず、保護者も、もしかしたら生徒自身も求めていることかもしれません。

しかし、それは表層的な視点です。

学校は未来を先取りしなければならない場所です。なぜなら、未来を担う人たちを育てているから。

私たちは「学校のスペシャリスト」を志向してはならない。そうではなく、社会の動向を捉え、いち早く旧来の学校文化と訣別し、社会と価値観を共にするための考え方を浸透させていく必要があるのです。

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