皆さんこんばんは角松利己です。
皆さん、角松敏生、いいですよ。「昭和のグルーヴ」に乗っちゃってください(笑)。
さて、皆さんは普段、生徒とどんな風に接していますか?
今回は、「生徒に対して礼儀正しく接すると、いいことありますよ」というお話です。
高校教師生活17年目にして、中学生を相手に気づいたこと。
私は教師になってから何年もの間、生徒に対して敬語を使うことはありませんでした。それは、自身がそういった文化の中で育ってきたからです。
しかし、転機がありました。
それは42歳の時、公立の中高一貫校に異動したことがきっかけでした。
生徒は入学時、当たり前ですが「中1」です。ついこの前までは「小6」だったわけです。体も小さく、表情も幼く、行動は輪をかけて幼い(笑)。
私はそれまでの16年間、ずっと「高校生」ばかりを相手にしてきました。彼らは、半分「大人」です。自分のスタイルを貫き、精いっぱい、大人になるプロセスに向き合っていたわけです。
そんな生徒と接してきた私が、ある日を境に「中1」です。すごいですよね。
しかし、中学生年代の彼らと接していく中で、私自身が変わらなければいけないことを痛感したのは事実です。
そのメリットは、少なからずありました。
些細なことかもしれませんが、クラス担任を務めた時は、教室内の掲示物の貼り方、色紙の使い方、見やすさの工夫などについて工夫する機会を与えられ、そのことが「クラスの雰囲気づくり」に貢献することを実感しました。
そして、「敬語」です。幼い彼らに対して、「お前さ」とか、名字の呼び捨てはご法度。
「ご法度」と言っても、学校内部での規則があったわけではありません。「成長過程にある、思春期の子どもを相手にしているんだから、いざという時に頼ってもらえるように、普段から相手を尊重している姿勢をみせなくては」という思いがあったからです。
もちろん、他の高校籍の同僚も、同じように丁寧な言葉づかいで生徒に接していました。
時を経て異動があり、再び高校現場へ。
しかし、高校に戻っても、私は「元」には戻りませんでした。つまり、生徒には基本的に敬語で接したわけです。これは、教師としての私に大きな収穫をもたらしました。
その「収穫」とは、
・いつも冷静でいられる。
・生徒と親しくなれる。
・生徒に安心感を与えることができる。
・自分を好きになる。
というものでした。
敬語を使えば、冷静になれる
生徒の言動に触れていると、時折、「そのまま聞き流せない時」がありますよね?
たとえば、
・生徒の問題行動に遭遇したとき。
・友達や同僚の教師に対する非難めいた言葉を聞いたとき。
・差別にかかわるような言葉を聞いたとき。
・深刻な話につながる示唆がうかがえたとき。
・勘違いをしていると感じたとき。
・いわゆる「タメ口」で話しかけてくるとき。
などです。
そして、これらに対しては、「叱り口調」になったり、逆に砕けた表現を使ったりすることが、一般的な対応かなと思います。
でも、そのあとがうまく続かない。
「叱り口調」でも「砕けた表現でのやりとり」でも、それはきっと、対応する教師の不安の反映だと思います。
そんな時、敬語でやりとりをすると、最後まで冷静に対処することができます。
敬語を使えば、生徒と仲良しに
次に、生徒と親しくなれます。前述したケースではなく、たとえば授業時や廊下での通常のやりとりでも、敬語は効果を発揮します。
なぜかというと、これは私の場合だけなのかもしれませんが、「敬語を使うと、生徒に話しかけやすくなる」といった効果が見込めるからです。
「生徒に話しかけられやすくなる」ではありません。「こちらから生徒に話しかけやすくなる」んです。
今までの私は、生徒の名字を呼び捨てにするか、「おい」の一声で話し始めていました。私の教師としての小さなプライドや、「フランクな言葉かけの方が、生徒との親密な感じを演出できる」といった、変な自意識が影響していたのだと思います。
これが、敬語を使って生徒に呼びかけた場合、私自身の感じ方がまるで変わってきたのです。
まず、声のトーンが変わります。
「おい、A」ではなく、「Aくーん」です(笑)。
語尾が伸びて、明るい印象で生徒に臨むことができる。
この効果は絶大でした。声のトーンは私の表情をやわらげ、それが生徒にも伝わって、両者の間にあった垣根を取り払います。以前にぶつかったことのある生徒相手であっても、一瞬で、笑顔になれる。
大人の何倍も寛容な生徒だからこそ、こういったことが可能になります。
あなたは、常に周囲に影響力を放っている
さらに、生徒に安心感を与えることにもつながります。
授業もクラスも、ある意味、教師にとっての「王国」です。教師自身には、そのような自覚が永遠に必要なのですが、「慣れ」というものは本当に恐ろしいもので、ちょっと油断するとすぐに「王国」が復活してしまうものです。
個々の生徒は、教師の言葉が自分に対して向けられたものでなくても、常に注意を払っています。友人が叱られたら、同様の要因を作らないように心に留めたりします。逆に、友人が褒められていても同じです。個々の生徒は教師一人一人の価値観を不断に内在化し、無用なトラブルを回避したり、賞賛につながる僅かな要素を探索したりするものです。親に対する態度と変わりません。
「たった一人の生徒に対するあなたの言動が、他のすべての生徒のあなたに対する態度を決める。」
という言葉が、『7つの習慣 人格主義の回復』という本に書いてあります。
たった一人の生徒、その生徒にどのように接するかによって、教師である私たちの評価が決まってしまうわけです。いい加減な扱いしかしないのであれば、「きっとあの先生は、私に対しても同様の扱いをするだろう」と思ってしまう。そのことを、私たち教師は常に肝に銘じなくてはなりません。
あなたがたった一人の生徒の頼みごとを面倒だと思わず、あるいは言い訳に最後まで耳を傾け、次につながるように気持ちよく応じていれば、あなたに対する生徒の評価はあなたの想像以上に高まるでしょう。敬語を使うことで、生徒の安心感はぐっと高まります。
よく、生徒の言っていることが真実かどうか、鎌をかけたり、あら捜しをしたりする教師を見かけることがありますが、一利なしです。「真実かどうか」自体は、価値としてはそれほど高くありません。にもかかわらず教師が生徒を追及するのは、明らかにマウンティングでしかない。短期的な勝ち負けしか見えていないわけです。そうでなければ、「真実を言わせることが教師としての自身の力の誇示になる」といった勘違いです。
それよりも重要なのは、「信頼関係の構築につながっているかどうか」です。
生徒を大切に扱う教師は、もっと自分を好きになる
そして、最後の効能。
敬語は、「それを使うあなたが、あなた自身を好きになる力」を備えています。
前述したように、あなたが生徒に対して敬語を使い続けることで、
・常に冷静でいられ
・生徒と親しくなることができ
・安心感に包まれた関係を創り出すことができます。
長年この仕事をやってきて思うのですが、「教師の成功は、生徒といい関係が築けたかどうかにかかっている。」と言っていいでしょう。
それは、生徒に好かれることではありません。
私にとっての「成功」とは、「生徒に信頼されること」です。私自身、強がりでもなんでもなく、「生徒に好かれたい」とは、微塵も思いません。
・・・いや、それは言いすぎでしたね(笑)。嫌われるよりは、好かれたほうが嬉しいに決まってます。
実際、生徒といつも気さくに、敬語も全くなしで、それでいて楽しそうに会話をしている、しかもそんな会話を2時間も3時間も続けることができる同僚教師を、何人か見てきました。私はとても羨ましかったし、自分もそうなりたいと思った。
でも、違いました。
仮に表面的にであっても、生徒と仲良く接することは、私にとっては無理でした。残念ながら、教師は生徒に対して、何らかの強制力を行使しなければならない立場にあるからです。普段はフランクに接し、問題が起きた時には立場上の接し方しかできない、といった振舞い方は、私には受け入れることが非常に困難でした。こんなところも、「俺、教師に向いてないな」と感じさせる点なんですよね。だから今、こうして自分の考えを整理しているんです。
ただ、やはり「生徒に好かれること」の優先順位は、今の私にとっては極めて低いと言えます。最優先事項は、「生徒から信頼されること」なんです。
こちらが容認できない何らかの行為を生徒がした場合、その生徒が、「あの先生がそう言うなら、私が悪かったのかもしれない。」と、少しでも感じてもらえるかどうか。それがカギになります。
また、これも仮にですが、私自身に関する根も葉もない噂が広まった場合、「あの先生に限って、そんなことはないだろう。」と生徒が感じてくれるかどうかも、一つの尺度です。
同僚教師に対しても、このスタンスは変わりません。「〇〇はあまり好きではないけれど、信頼できる。」とか、「さすがにあいつはそこまではしないはずだ。」と思ってもらえれば、私の中では十分です。
生徒に対して敬語で接することで、大きなメリットが受け取れます。
しかし最大のメリットは、結果として「生徒からの信頼感を獲得でき、教師としての自信があふれるようになる」点にあります。だから敬語を使うんです。
人間関係の本質
ところで、私は普段から「起業系メルマガ」を結構たくさん購読しているんですが、その中から今回は、Kiraさんのメルマガを紹介しますね。今回のテーマにぴったりの内容です。
“お金持ちがファストフードの店員に超丁寧に接するたった1つの理由“
店のレベルにかかわらず、お金持ちの方は店員さんにも丁寧に接するのですが、店のレベルが下に行けば行くほど、丁寧さも反比例して良くなっていきます。
それは、「不快感を回避するため」です。
お金持ちは「商品を安価で提供する店が必然的にサービスを下げざるを得ないこと」を知っているからこそ、自分から丁寧に接することで、店員に丁寧な接客をさせているということなんです。
もしあなたがお客様から超丁寧に接されたら、いつもより良いサービスをしたくなってしまいますよね?
店員だから、客だからとかそんな独りよがりな考えはやめて、良いサービスを受けようと思ったら、まず自分からGiveすることも大事だということですね。
いかがですか? 人間関係の本質を語っているような感じがしませんでしたか?
私が敬語で生徒に話しかけるとき、
・お互い笑顔で話に入ることができ、
・多くの生徒が最後までこちらの話を聞いてくれ、
・過去にぶつかった生徒はその過去を水に流してくれ、
・普段は話を聞かない生徒が話を聞いてくれ、
それが蓄積されると、大事な場面で、必ず効いてきます。
信頼を失うのは一瞬のことなので、言葉遣いに気は抜けません。でも、相手を尊重しながら接することで、「生徒も教師である私自身も、良くなってるな」という感じは、はっきりと実感できます。
生徒に敬語を使う。
生徒と一緒に、教師も大人になりましょう。
公立高校の現役教師。教員経験28年(2021年3月末現在)。「教師は、仕事&私生活&リタイア後の人生、すべてにおいて成功すべし!」が信条。教師が成功すれば、学校は変わり、生徒も魅力的な大人に成長します。まず教師であるあなたの成功を最優先課題にしましょう。
☑心理学修士(学校心理学)
☑NPO法人「共育の杜」オンラインサロン『エンパワメント』専任講師
☑一般社団法人7つの習慣アカデミー協会主催「7つの習慣®実践会ファシリテーター養成講座」修了。ファシリテーターを3年務め、セミナーを開催。
☑ハンドルネーム「角松利己」は角松敏生から。
「原則」&「ビジネス思考」で、教師が自由になるための方法をお伝えします。