53 最短・最速・着実に生徒と人間関係を構築する方法は、敬語を使うこと

仕事で成功する

皆さんこんばんは角松利己です。
皆さん、角松敏生、いいですよ。「昭和のグルーヴ」に乗っちゃってください(笑)。

さて、皆さんは普段、生徒とどんな風に接していますか?

今回は、「生徒に対して礼儀正しく接すると、いいことありますよ」というお話です。

高校教師生活17年目にして、中学生を相手に気づいたこと。

私は教師になってから何年もの間、生徒に対して敬語を使うことはありませんでした。それは、自身がそういった文化の中で育ってきたからです。

しかし、転機がありました。
それは42歳の時、公立の中高一貫校に異動したことがきっかけでした。

生徒は入学時、当たり前ですが「中1」です。ついこの前までは「小6」だったわけです。体も小さく、表情も幼く、行動は輪をかけて幼い(笑)。

私はそれまでの16年間、ずっと「高校生」ばかりを相手にしてきました。彼らは、半分「大人」です。自分のスタイルを貫き、精いっぱい、大人になるプロセスに向き合っていたわけです。

そんな生徒と接してきた私が、ある日を境に「中1」です。すごいですよね。

しかし、中学生年代の彼らと接していく中で、私自身が変わらなければいけないことを痛感したのは事実です。

そのメリットは、少なからずありました。
些細なことかもしれませんが、クラス担任を務めた時は、教室内の掲示物の貼り方、色紙の使い方、見やすさの工夫などについて工夫する機会を与えられ、そのことが「クラスの雰囲気づくり」に貢献することを実感しました。

そして、「敬語」です。幼い彼らに対して、「お前さ」とか、名字の呼び捨てはご法度。

「ご法度」と言っても、学校内部での規則があったわけではありません。「成長過程にある、思春期の子どもを相手にしているんだから、いざという時に頼ってもらえるように、普段から相手を尊重している姿勢をみせなくては」という思いがあったからです。

もちろん、他の高校籍の同僚も、同じように丁寧な言葉づかいで生徒に接していました。

時を経て異動があり、再び高校現場へ。

しかし、高校に戻っても、私は「元」には戻りませんでした。つまり、生徒には基本的に敬語で接したわけです。これは、教師としての私に大きな収穫をもたらしました。

その「収穫」とは、

・いつも冷静でいられる。
・生徒と親しくなれる。
・生徒に安心感を与えることができる。
・自分を好きになる。

というものでした。

敬語を使えば、冷静になれる

生徒の言動に触れていると、時折、「そのまま聞き流せない時」がありますよね?

たとえば、

・生徒の問題行動に遭遇したとき。
・友達や同僚の教師に対する非難めいた言葉を聞いたとき。
・差別にかかわるような言葉を聞いたとき。
・深刻な話につながる示唆がうかがえたとき。
・勘違いをしていると感じたとき。
・いわゆる「タメ口」で話しかけてくるとき。

などです。

そして、これらに対しては、「叱り口調」になったり、逆に砕けた表現を使ったりすることが、一般的な対応かなと思います。

でも、そのあとがうまく続かない。

「叱り口調」でも「砕けた表現でのやりとり」でも、それはきっと、対応する教師の不安の反映だと思います。

そんな時、敬語でやりとりをすると、最後まで冷静に対処することができます。

敬語を使えば、生徒と仲良しに

次に、生徒と親しくなれます。前述したケースではなく、たとえば授業時や廊下での通常のやりとりでも、敬語は効果を発揮します。

なぜかというと、これは私の場合だけなのかもしれませんが、「敬語を使うと、生徒に話しかけやすくなる」といった効果が見込めるからです。

「生徒に話しかけられやすくなる」ではありません。「こちらから生徒に話しかけやすくなる」んです。

今までの私は、生徒の名字を呼び捨てにするか、「おい」の一声で話し始めていました。私の教師としての小さなプライドや、「フランクな言葉かけの方が、生徒との親密な感じを演出できる」といった、変な自意識が影響していたのだと思います。

これが、敬語を使って生徒に呼びかけた場合、私自身の感じ方がまるで変わってきたのです。

まず、声のトーンが変わります。
「おい、A」ではなく、「Aくーん」です(笑)。

語尾が伸びて、明るい印象で生徒に臨むことができる。

この効果は絶大でした。声のトーンは私の表情をやわらげ、それが生徒にも伝わって、両者の間にあった垣根を取り払います。以前にぶつかったことのある生徒相手であっても、一瞬で、笑顔になれる。

大人の何倍も寛容な生徒だからこそ、こういったことが可能になります。

あなたは、常に周囲に影響力を放っている

さらに、生徒に安心感を与えることにもつながります。

授業もクラスも、ある意味、教師にとっての「王国」です。教師自身には、そのような自覚が永遠に必要なのですが、「慣れ」というものは本当に恐ろしいもので、ちょっと油断するとすぐに「王国」が復活してしまうものです。

個々の生徒は、教師の言葉が自分に対して向けられたものでなくても、常に注意を払っています。友人が叱られたら、同様の要因を作らないように心に留めたりします。逆に、友人が褒められていても同じです。個々の生徒は教師一人一人の価値観を不断に内在化し、無用なトラブルを回避したり、賞賛につながる僅かな要素を探索したりするものです親に対する態度と変わりません。

「たった一人の生徒に対するあなたの言動が、他のすべての生徒のあなたに対する態度を決める。」

という言葉が、『7つの習慣 人格主義の回復』という本に書いてあります。

たった一人の生徒、その生徒にどのように接するかによって、教師である私たちの評価が決まってしまうわけです。いい加減な扱いしかしないのであれば、「きっとあの先生は、私に対しても同様の扱いをするだろう」と思ってしまう。そのことを、私たち教師は常に肝に銘じなくてはなりません。

あなたがたった一人の生徒の頼みごとを面倒だと思わず、あるいは言い訳に最後まで耳を傾け、次につながるように気持ちよく応じていれば、あなたに対する生徒の評価はあなたの想像以上に高まるでしょう。敬語を使うことで、生徒の安心感はぐっと高まります。

よく、生徒の言っていることが真実かどうか、鎌をかけたり、あら捜しをしたりする教師を見かけることがありますが、一利なしです。「真実かどうか」自体は、価値としてはそれほど高くありません。にもかかわらず教師が生徒を追及するのは、明らかにマウンティングでしかない。短期的な勝ち負けしか見えていないわけです。そうでなければ、「真実を言わせることが教師としての自身の力の誇示になる」といった勘違いです。

それよりも重要なのは、「信頼関係の構築につながっているかどうか」です。

生徒を大切に扱う教師は、もっと自分を好きになる

そして、最後の効能。

敬語は、「それを使うあなたが、あなた自身を好きになる力」を備えています。

前述したように、あなたが生徒に対して敬語を使い続けることで、

・常に冷静でいられ
・生徒と親しくなることができ
・安心感に包まれた関係を創り出すことができます。

長年この仕事をやってきて思うのですが、「教師の成功は、生徒といい関係が築けたかどうかにかかっている。」と言っていいでしょう。

それは、生徒に好かれることではありません。

私にとっての「成功」とは、「生徒に信頼されること」です。私自身、強がりでもなんでもなく、「生徒に好かれたい」とは、微塵も思いません。

・・・いや、それは言いすぎでしたね(笑)。嫌われるよりは、好かれたほうが嬉しいに決まってます。

実際、生徒といつも気さくに、敬語も全くなしで、それでいて楽しそうに会話をしている、しかもそんな会話を2時間も3時間も続けることができる同僚教師を、何人か見てきました。私はとても羨ましかったし、自分もそうなりたいと思った。

でも、違いました。

仮に表面的にであっても、生徒と仲良く接することは、私にとっては無理でした。残念ながら、教師は生徒に対して、何らかの強制力を行使しなければならない立場にあるからです。普段はフランクに接し、問題が起きた時には立場上の接し方しかできない、といった振舞い方は、私には受け入れることが非常に困難でした。こんなところも、「俺、教師に向いてないな」と感じさせる点なんですよね。だから今、こうして自分の考えを整理しているんです。

ただ、やはり「生徒に好かれること」の優先順位は、今の私にとっては極めて低いと言えます。最優先事項は、「生徒から信頼されること」なんです。

こちらが容認できない何らかの行為を生徒がした場合、その生徒が、「あの先生がそう言うなら、私が悪かったのかもしれない。」と、少しでも感じてもらえるかどうか。それがカギになります。

また、これも仮にですが、私自身に関する根も葉もない噂が広まった場合、「あの先生に限って、そんなことはないだろう。」と生徒が感じてくれるかどうかも、一つの尺度です。

同僚教師に対しても、このスタンスは変わりません。「〇〇はあまり好きではないけれど、信頼できる。」とか、「さすがにあいつはそこまではしないはずだ。」と思ってもらえれば、私の中では十分です。

生徒に対して敬語で接することで、大きなメリットが受け取れます。

しかし最大のメリットは、結果として「生徒からの信頼感を獲得でき、教師としての自信があふれるようになる」点にあります。だから敬語を使うんです。

人間関係の本質

ところで、私は普段から「起業系メルマガ」を結構たくさん購読しているんですが、その中から今回は、Kiraさんのメルマガを紹介しますね。今回のテーマにぴったりの内容です。

“お金持ちがファストフードの店員に超丁寧に接するたった1つの理由“

店のレベルにかかわらず、お金持ちの方は店員さんにも丁寧に接するのですが、店のレベルが下に行けば行くほど、丁寧さも反比例して良くなっていきます。

それは、「不快感を回避するため」です。

お金持ちは「商品を安価で提供する店が必然的にサービスを下げざるを得ないこと」を知っているからこそ、自分から丁寧に接することで、店員に丁寧な接客をさせているということなんです。

もしあなたがお客様から超丁寧に接されたら、いつもより良いサービスをしたくなってしまいますよね?

店員だから、客だからとかそんな独りよがりな考えはやめて、良いサービスを受けようと思ったら、まず自分からGiveすることも大事だということですね。

いかがですか? 人間関係の本質を語っているような感じがしませんでしたか?

私が敬語で生徒に話しかけるとき、

・お互い笑顔で話に入ることができ、
・多くの生徒が最後までこちらの話を聞いてくれ、
・過去にぶつかった生徒はその過去を水に流してくれ、
・普段は話を聞かない生徒が話を聞いてくれ、

それが蓄積されると、大事な場面で、必ず効いてきます。

信頼を失うのは一瞬のことなので、言葉遣いに気は抜けません。でも、相手を尊重しながら接することで、「生徒も教師である私自身も、良くなってるな」という感じは、はっきりと実感できます。

生徒に敬語を使う。
生徒と一緒に、教師も大人になりましょう。

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