皆さんこんばんは角松利己です!
3月2日は、勤務校の卒業式でした。
学校と言う場では、教師だけがとどまり、生徒は通り過ぎていく存在です。異動がない限り、教師は毎年、卒業生を出します。教師の目の前を、多くの生徒が通り過ぎていくのです。
ところで、学校のもつ、このような「宿命」が、教師にとっては「罠」であることに、気づいていましたか?
今回は、そんな内容の記事を書いていきます。
学校は、日々がエンターテインメント
学校では、教師らによる「定点観測」が展開されます。
自分たちはアリーナに陣取って、競技場の中央で戦いを繰り広げる生徒たちの姿に、一喜一憂するのが教師。
闘いの途中には、生徒にとって必要な「資源」を適宜、補給する役目を担います。生徒が疲れてくれば休憩を入れ、気力体力が復活すれば、再び戦闘開始です。そして、闘いが済んだ頃、拍手喝さいとともに、生徒たちを競技場の外へ送り出す。
アリーナにいる教師たちは、「刺激」に困る必要はありません。なぜなら、一定数の生徒たちを競技場の外に送り出した次の瞬間、新たな「競技者」が、競技場の中央にやってくるからです。
学校とは、そのような場です。
ところで、こういった状態が意味するものは、いったい何でしょうか?
それは、教師は新たに学ぶ必要がない、という事実です。
生徒は毎年変わる。なら、学ぶ必要はない。
教師として採用されて、数十年。彼は採用されたころの指導を変えていません。
授業では教科書の内容を板書用にまとめたノートを作り、それを黒板に書く。部活指導では、自身が学生の頃に教わったやり方や思考法に基づいて教える。
教師として行う校務のすべてを、自身がならったやり方に基づき、それを新採用時からずっと継続している。
それでも務まる仕事が、「教師」です。
なぜかって? 理由は明白です。
教師自身が変わらなくても、目の前の生徒がどんどん変わっていくからです。
仮に、代わり映えのない指導法を何十年と続けていても、1年後には教える対象が変わります。
これが毎年、半永久的に続く。だったら、教師は変わる必要がないでしょう。
そして、このことがはらむ最大の問題は、当の教師自身は、自身の変化のなさにほぼ無自覚である、と言う点です。
「刺激」は毎年、やってくる
教師は、自分から「変化」や「刺激」を求めに行かなくても、そういった「変化」や「刺激」は向こうからやって来ます。
生徒が変わるから、教師は自分自身が変化していなくても「変化している」ような錯覚を覚えます。無意識のうちに。
そうなると、目先の問題やトラブルに対処しているだけで、本来は感じる必要のない「充足感」が生まれます。生徒の顔触れが変わり、問題の現れ方がほんの少し変わるだけで、何度も経験しているはずの出来事に「新鮮さ」を感じてしまう。
これが、教師の陥る「罠」です。
教師が陥る罠
それは「自分が変化している」という錯覚に陥ってしまうこと。
生徒の変化を目にすることで、自分も変化していると勘違いしてしまうこと。
もちろん、私たち教師は生徒の成長をサポートするのが、仕事です。だから、「自身の成長よりも、目の前にいる生徒に働きかけて立派な人間にしたい。」と思うのは、当然でしょう。
「生徒の成長が何よりも嬉しい。」
その通りです。否定はしません。
しかし、「他人を成長させるための最短最速の手段」は、自分自身が成長することです。あるいは、そのプロセスを見せることです。教師が自己を磨き続け、人生を謳歌しているからこそ、その姿を見つめる生徒たちは「こんな大人になりたい」と思うんです。
なのに、教師の仕事は「生徒を叱咤激励する」だけ。「できていないところを見つけ、注意する」だけ。
そんなことは、誰にでもできることです。
教師であるあなたは、生徒の世話を焼く以前に、自身のキャリアを見つめていますか?
生徒は目の前を通り過ぎていく。キャリアをまだ意識することなく、時間の流れに身を委ねながら。
じゃあ、教師はどうする?
教師は外の世界に赴くこともなく、相変わらず「定点観測」を続けています。そして、生徒が変わるから、自身も変化しているような気がする。しかし、それは錯覚です。そのうち、自身に残された時間が僅かであることに気づき、キャリアを意識せずに一生を終えることになる。それが、多くの教師です。
「通過儀礼」が最も必要な人間こそ、教師
高校生には、若者には「通過儀礼」が必要です。
若者は、時間が流れていく感覚がありません。時間は彼らの手元に常に膨大に存在し、むしろ持て余している状態です。だから、「通過儀礼」が必要。
ところどころで時の流れを意図的に止めて、「今はここだよ。ここにいるんだよ。」と確認作業を行わせる。それをすることで、長い人生と言う名のキャリアを意識させるんです。
だったら、大人にも「通過儀礼」って、必要なんじゃないでしょうか。特に教師にとっては。
20代前半から「先生」と呼ばれ、
自分と「顧客」との間には明確な権力構造が存在し、
その「顧客」は集客の必要もなく目の前に現れ、
売った「商品」に対して表立ったクレームもつけずに立ち去っていく。
あなたも気づいたはずです。教師にとっての「通過儀礼」は、どうしても必要なんです。
私たち教師は、無自覚のまま陥っている罠の存在に気づき、そこから抜け出さなくてはいけません。そのためには、自分自身で「通過儀礼」を設定し、乗り越えていく手続きを取らなくてはならない。
生徒が「卒業」するなら、私たちも何かを「卒業」する必要があるんです。「変化」し、「刺激」を求める必要が。
教師が主体的に生きるからこそ、学校における「利益追求」が可能になり、結果的に生徒に良い影響を与えられるもの。
生徒を育てたいのなら、まずあなたが、自分自身を育てることに注力する。あなたに力がなければ、いい生徒は育てられませんから。
卒業式に思う。
3月2日。卒業式。
午前は晴天。新型コロナウィルス感染防止のため、在校生と来賓は不在。祝辞も送辞もなく、時間を短縮して式は執り行われました。
卒業生は、「卒業」という通過儀礼を経験しました。
4月には、新入生がやって来ます。そして「入学式」というセレモニーが、いつも通り執り行われるでしょう。
私たち教師は、目の前で何度となく繰り返されるセレモニーのお膳立てをしています。そして、生徒の追体験をする。
でも、それは「罠」です。
教師も、いや、教師こそ、「通過儀礼」を主体的に設定しましょう。
そして、変化し、進化し続けた姿を、生徒に見せてやりましょう。
その行為こそが、学校教育にかかわる多くの人の幸せに貢献するはずです。
公立高校の現役教師。教員経験28年(2021年3月末現在)。「教師は、仕事&私生活&リタイア後の人生、すべてにおいて成功すべし!」が信条。教師が成功すれば、学校は変わり、生徒も魅力的な大人に成長します。まず教師であるあなたの成功を最優先課題にしましょう。
☑心理学修士(学校心理学)
☑NPO法人「共育の杜」オンラインサロン『エンパワメント』専任講師
☑一般社団法人7つの習慣アカデミー協会主催「7つの習慣®実践会ファシリテーター養成講座」修了。ファシリテーターを3年務め、セミナーを開催。
☑ハンドルネーム「角松利己」は角松敏生から。
「原則」&「ビジネス思考」で、教師が自由になるための方法をお伝えします。