45「教師だけをやって一生を終えたい」という人を、教師にしてはいけない

ビジネスの知見

皆さんこんばんは角松利己です。
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新年の一撃

以前、当ブログ「未来の時間を増やせ」の記事で紹介した金山慶允さんのメルマガを見ていたら、「新年の一撃」を食らってしまいました。でも、非常にインパクトの強い内容なので、皆さんに紹介します。

*この記事、なんと2011年に金山さんのブログに書かれたものです(驚)。
現在の私にとっては「我が意を得たり」といった内容ですが、実現可能性はともかくとしても、本質を突いた考え方だと思います。

少し暴言になってしまうかもしれませんが、最近よく思うのが、
「教師だけをやって一生を終えたい」、と思う人を教師にしてはいけない。
ということです。

子どもと関わる大人にこそ、人間的な魅力が必要です。
たとえば教員養成課程で、20代前半にして定年までそつなく教師をやりたいと考えるような人って教育者としてどうなのか?? と思うのです。少なくとも、自分の子どもはそういう人に預けたくないな~、と思ってしまいます。

教育というのは、コミュニティ全体で責任を担うものであって、特定の専門家が必要なものでもないと思ってます。

2011年6月 金山慶允ブログ記事 「教育で世の中を変える」より。

いわゆる「社会的基盤としてのコミュニティ」が崩壊している現代において、「コミュニティ全体で教育の責任を負う」という考え方に困難を感じる人がいるかも知れません。そんな社会だからこそ、「学校教育が最後の砦」と、むしろ教育に情熱を燃やす教師がいることは否めませんし、そういった人たちは一定数、必要だと思います。

しかし、多様化する個人・価値観を「学校教育」がとどめようとすることは、もはや不可能です。むしろ、学校教育こそが「個人や価値観の多様化」を推し進める位置にあることを、深く自覚しなければなりません。つまり、学校教育が率先して

一律性を排除し、多様化から得られる価値の可能性に賭ける。

そんな姿勢が求められているのです。

教師の仕事は「マッチング・ビジネス」

その結果、これから数年間における学校教育の役割は、いわゆるマッチング・ビジネス(ただし、非常に濃密な)のそれと同じになるでしょう。

つまり、
生徒が在籍している数年間で、個々に適したモチベーションを継続的に与え、
生徒自身が選び取った進路実現に向けて、最大限の労力を費やす。
ということです。

そして、このことを実現させるためには、
教師が従来の学校教育に付随する価値観を捨てること。
が、最低限必要になってきます。

たとえば、
・生徒を校則で縛ることで、表面的で形式的な取り繕いをしない。
・生徒の言動に教師の許可や評価をいちいち与えない。
・教科専門性を高めるよりも、世の中にどんな仕事がどれだけ存在するかを一定レベルで説明できるようになる。
・生徒にとって最も身近な大人である教師がチャレンジするプロセスを見せる。

などです。

端的に言えば、
・本質
・主体性
・先見性や社会性
・変化する存在

などを追求し、体現しようとする存在になれ、ということです。

このように、教師自身が従来の学校教育に付随する価値観を捨てるようになると、生徒はもちろんですが、結果的に教師自身も生き生きとし始めます。

不断に変化することで進化を遂げ、同調圧力に巻き込まれることなく自分の好きなことに打ち込んで人生を全うしようとする姿勢は、何物にも代えがたいものでしょう。

学校教育の解体

そして、「マッチング・ビジネスとしての学校教育」の後にやってくるものは、学校教育の解体です。

これからは、多くの人々が自身の嗜好を追求し、そこに情熱を注いで、「100年人生」を生き始めます。多大な情熱が注がれた「嗜好」は、一見すると非常に個人的で、特別で、誰かにとっては全く価値のない代物ですが、他の誰かにとっては垂涎ものであり、人生を輝かせるスパイスであり、場合によっては人生を賭けるほどの熱狂を呼び起こすものです。

そして、多くの人が「その道」のプロとして、「自身の嗜好の集積」という名のバトンを、たとえば知識やスキル、あるいは体験という形で「誰か」に渡していきます。

面白いもので、こういった個人的な嗜好の集積は、共時的にも一定数の受け入れ先を持つものですが、通時的価値も備えています。年月を経ることでその時々の時流に合った「嗜好の集積」は爆発的に広がり、多くの人に少なからず影響を与える可能性があります。

結果、どうなるか?

すべては教育になり、教育はすべてにつながる。

以前、当ブログの別記事でも触れましたが、すべての人が、教育者になる」ということです。

当ブログの以前のサイトアドレスは、「eleadstoe.com」ですが、これは分解すると、「e leads to e」となります。

最初と最後の「e」は、「education」 と 「everything」です。
両者を入れ替えて、「everything」 と 「education」にしても構いません。

「e leads to e」は、
「教育はすべてに通ず」でもあり、
「すべては教育に通ず」でもあるのです。

個人が自身の「100年人生」を本質的に問い直すようになれば、おそらく、人生の早い段階における「嗜好の追求」が始まります。そして彼らを受け入れ、教育するのは「嗜好の先人たち」です。分野は問いません。学問であろうとスポーツであろうと、社会貢献であろうと、すべての分野に先人は存在します。

そして、「教育したい・伝えたい」という欲は、各自が人生の終焉を迎えることを意識した時点ですべての人間にわき起こってくる感情であるはずです。

生物学的に自身の遺伝子を残すだけでなく、物質的な遺産を残すだけでなく、自分が大切に思う価値観を後世に伝えたい、という「教育欲」は、おそらく、最後の最後まで残ります。

「思考(あるいは思考プロセス)の伝達」

これが、人生の最期にもたらされる「欲」でしょう。
誰もが自身のスペシャリティを伝える準備をしているんです。

唯一の問題は、
「そういった思考や生き方が必要である」ということを、誰が子どもたちに伝えるのか?
という点です。

ですが、皆さんにはもうわかっているのではないでしょうか?

教師しかいない

そうです。
それを子どもたちに伝える役割を担っているのは、
その影響力がなお大きいのは、
伝える義務を感じる必要がある大人は、
私たち「教師」なのです。

あと何年後になるかはわかりませんが、必ず、現在あるような学校教育システムは、崩壊します。

その場合、公教育が完全になくなることはないでしょう。どの国も、国家としての体を維持していくのであれば、教育をすべて民間の機関に委ねる決断は、しないはずです。

日本の場合、一部他国の例に見られるように、長期的戦略に基づいて教育領域の重点化を図る必要はあるでしょうが、いずれにせよ公教育領域の観点は、従来よりももっと絞られてくるはずです。

いまさら日本文化の「外発性」を取り上げるわけではありませんが、明治維新における海外勢力による「外発」ではなく、国内から「外発化」が進んできているのが現状です。そして明治維新の時のように、たとえ欧米コンプレックスが由来とならなくても、日本人は「外発」に弱い。日本の学校教育は根底から揺るがされることになるでしょう。現在の日本が「第2の明治維新」を迎えていると言われるゆえんです。

ただ、待てない。

日本の学校教育は、保守の牙城です。一朝一夕では変わらない。「外発」の影響力が行使されるその時を何もせずに待ってはいられない。だからこそ、自己点検や先見性が求められるわけです。

自由を礼賛したいわけではありません。

そうではなく、「教師は生徒に対する形式的・表面的なコントロールをやめ、魅力的な人材を輩出できるように、そして生徒一人一人が人生の楽しさを感じられるように、力を発揮すべきだ」と言いたいのです。

つまらない人間が教師をやるな

前出の金山さんは、こう続けます。

もちろん専門的な知識・スキルは必要ですが、マインドの部分はコミュニティに属する誰もが持つ必要があるし、『教育だけ』に特化した人間は別にいなくてもいいんじゃないか、と思います。教育というものを、実質的な社会から切り離して、特別な教員養成課程をつくって、それ専門であれこれ理屈をこねまわす人たちの間でばかり議論するから、どんどん保守的・閉鎖的になっていくんです。

夢を抱くための筋肉が筋硬直を起こしている人が教育者をやっている、ということこそ、夢を抱けない人が増えていることの一番大きな原因じゃないでしょうか?

夢を持っていない人はもちろん、夢を語るだけの人(つまり行動しない人)が教師をやっているから、『大人の世界はつまらない』と勘違いしてしまう子どもが増えてしまうのではないでしょうか??

教育者として最も適しているのは、『子どもが憧れるような生き方をしている大人』です。

子どもたちは大人のことを、見ていないようでよく観ています。自分を指導している大人が、自分自身の夢をしっかり持って、日々、生き生きと人生を楽しんでいるのか、敏感に感じとっています。夢を持てない、夢に向かって行動しない大人が教育者として子どもと関わるようなシステムを放置しているのは、国家の罪(=国民の罪、くらいに思ってしまいます。

多感な時期の子どもたちのドリ-ムキラーになってしまわないように、教育者・教員は、
『夢を実現しながら生きている人』もしくは、『夢の実現のため、具体的な行動をとっている人』だけで構成されるようになるべきだと考えます。

いかがですか? 私に異論はありません。

2020年が、新たな年が始まりました。
あなたは、どうしますか? 教師だけをやって一生を終えますか?
それとも、教師として成功したうえで、セカンドキャリア構築に向けて一歩を踏み出しますか?

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