55 自分の「賞味期限」を知っている教師が、成功する

セカンドキャリアを構築する

教師には「賞味期限」があります。

みなさんこんばんは角松利己です。
ハンドルネームの由来は、こちら

今日は、「教師の成功」のためには「セカンドキャリア構築」への視点が不可欠であること。
その手法の一つとして仕事の賞味期限を知る必要があることこの点について書いていきます。

以前、こんな記事を書きました。

そこでは、「教師の成功」につながる観点を2つ紹介し、まず、「現職教師として成功するには、遠慮しないことが大切」という話をしたんですよね。

ただ、私の提案する「最強の教師」は、

現職で
私生活で
リタイア後も
すべてにおいてバランスが取れている状態

を理想としているので、ここでは「リタイア後」、つまり「セカンドキャリア構築」についての話をします。

教師の「賞味期限」は、わずか数年

教師の賞味期限は、実はそれほど長くはありません。

新卒で採用され、その後40年間現職を続けたとしても、ベストの状態で生徒に向き合える期間は、想像している以上に短いものです。

以下に、その理由を書きますね。

身体的側面

まず、加齢に伴う身体面の衰えがあります。一般的な話はさておき、ここでは私自身の話をしますね。現在52歳ですが、50歳を過ぎた頃にはっきりと衰えを感じた点があります。

まず、視力です。40代の半ばまでは、教壇から教室後ろの掲示板に書かれている文字が見えていました。どんな趣旨の連絡プリントが張られているのか程度は、読みとることができていたんですね。

しかし、現在はまったく見えなくなりました。本や新聞を読むときには、手元を離さないと活字が読めません。仕事自体もPCが主体になっている昨今、視力はどんどん下がっていくはずです。

次に、体の問題です。まず、ちょっとした動きで、その部位を痛めることが多くなりました。たとえば、車の運転席に座ったまま後部座席の物を取ろうと首をひねるだけで、「ピキッ・・・」と(笑)。椅子から立ち上がろうとしただけで、腰が「ピシッ・・・」と(泣笑)。こんな感じです。

40代では、こんなことはありませんでした・・・。これが、加齢の問題です。

私は教員になって以来、ずっと何かしらの運動部顧問を務めていて、野球、サッカー、バレーボール、サッカー、武道と経験してきました。また、もともと体を動かすことが好きで、不定期ですが40代前半まではジムに通って汗を流す期間もありました。

でも、この歳になるとガタが出始めるんですね。授業の面でも部活動指導の面でも支障が出てくると、「教師として私が貢献できることは、この先何だろう?」のように、自己資源の分配先を真剣に考えるようになります。

心理的側面

心の問題としては、「情熱」と「諦観」が表裏一体の関係として挙げられます。

教師の仕事は、情熱の力に負う部分が非常に大きいですよね。

「この生徒を変えたい」
「大切なことに気づいてほしい」

そんな情熱に突き動かされて、若い頃はやってこれました。

しかし加齢とともに、おかしな経験則が幅を利かせてくるようになります。

「この手の生徒は変わらない可能性が高い」
「この生徒は、たぶん在学中に気づくことはないだろう」

情熱が失われると、生徒にかけるエネルギーは減退します。そして、諦める。

確かに、ある程度諦めないとやってられないことは、多々あります(笑)。ただ、情熱を失い、諦観に囚われた教師に教わる生徒は、かわいそうですよね。

サムエル=ウルマンの有名な詩に、「青春」があります。

「年を重ねただけでは人は老いない。理想を失うとき、人は初めて老いる。」

とても好きな言葉です。20代の頃から、心が萎えそうになる時に言い聞かせてきた言葉です。

私としては、「たとえ肉体的に自由が利かなくなったとしても、情熱だけは持ち続けよう。自分の理想を簡単に手放すことは絶対にしない。」と言いたいところです。

しかし、現実はどこまでもリアルでした。

先に、「体を動かして汗を流すことが大好き」と言いましたが、40代になった時、そして50代になった今、その「汗を流すために走りたい!」という気持ちがどんどん薄らいでいっているのが実感できるのです。

「面倒くさい」とか、「こっちの仕事を先に終わらせてから」とか、「勤務時間が過ぎたから」とか。やらなくて済む理由を考える自分が、そこにはいます。

「情熱を失うことは、これほどまでに影響が大きいのか」

改めて、そう感じています。

「青春とは、心の若さである。」

サムエル=ウルマンの言葉は、至言でした。

家族の影響

「教師の成功」の三本柱の一つに、「私生活での成功」があります。

特に現職中は、「仕事における成功」と「私生活での成功」は車の両輪の関係にあるため、仕事で成功したいと願うのであれば、私生活での成功は欠かせません。両者の深い関係性は、今さら言うまでもないでしょう。

朝、家族と喧嘩して家を出たのであれば、その感情を引きずって教壇に立つことになります。
家族に心配事を抱えているのであれば、その感情を引きずって、生徒と向き合うことになります。
逆に、家庭で嬉しいことがあれば、授業中に普段は言わないような冗談を披露することもあるでしょう。

教師を支える家族の存在や、家族から得られる安心感というものは、想像以上に影響力を行使します。

私は30代前半の頃、家庭内で大きな悩みと不安を抱えていた時期がありました。

ほんのひと月ほどですが、ジャケットの内ポケットに携帯電話を忍ばせたまま、授業をしていた時期もあります。不安で胸が押しつぶされるようになっていたため、いつ連絡をもらってもすぐに対応できるように、といった理由からでした。

このように、私生活に不安要素を抱えたまま教壇に立つことは、教師にとってとても切ない状況を作ります。

「賞味期限」とは、「真価を発揮できる期限」

さて、教師の賞味期限を規定する3つの要素、

身体的側面
心理的側面
家族の影響

を一緒に眺めてきたわけですが、もうお分かりいただけたと思います。

教師が心身ともに充実した状態で教員生活に取り組める時間は、実は非常に限られている

ということを。

大きな病気を抱えない状態で、
体力的な衰えをものともせず、
家族と良好な関係を保ち、
家族が心身ともに健康で、
教育に対する情熱にあふれ、
明るい未来の展望を信じている。

あなたがそのような状態にある時間は、長い教員生活の、いったいどれくらいの期間を占めることになると思いますか? そして、あなたが教師として真価を発揮できる期間は、どれくらいの長さなのでしょうか。

教師を構成する3つの要素

以前も別記事で触れましたが、「教師を形成する2つの要素」というものがあります。

それは、「人格」と「専門領域の習熟度」なんですが、後者はさらに、「スキル」と「知識」に分かれます。

つまり、教師とは「人格」、「専門知識」、「知識を伝えるスキル」の3要素から構成されており、教師の「賞味期限」とは、3要素の頂点にある、ということになります。

私の場合は、45歳から52歳の現時点に至るまでの7年間ほどが、「賞味期限(期間)」だったと言えます。

しかし、40代半ばまでは、うまくいかないことがほとんどでした。

専門領域に関する深い造詣を持たず、
生徒の気持ちも見えずに距離を置かれ、
部活動では「頼りにならない先生」であり、
校務分掌にも精通しない。

いわゆる、「何の取り柄もない、そのくせプライドだけは高いという、たちの悪い教師」だったと思います。(そんなダメダメな私は、こちら。)

そんな私が現在、信念を持ちながらある程度充実した毎日を送れているのは、原則に基づき、ビジネス思考を踏まえた取り組みを、公私において行っているからです。

私にとっての7年間ほどの「賞味期限」は、すべて「原則とビジネス思考」に基づいた日々を送ってきたことに基づいています

人格>スキル>知識

教師を形成する3つの要素は「人格」、「専門知識」、「知識を伝えるスキル」でしたね。

私は「専門知識」をまず捨てました。

個人が森羅万象を知り尽くしたとしても、個人どまりです。その知識を生徒に披露したところで、生徒の力が伸びるわけではありません。

次に捨てていいのは、「知識を伝えるスキル」です。

いわゆる「授業法」にかかわる研修会やセミナーは、毎日至る所で開催されています。ただ、私の見る限り、それらは教育制度の変更に伴って必然的に起こる動きであり、当の制度自体、日々変化していくものです。

変化に対応することは必要です。しかし、「指導法」のような表面的な対応をすることに、私は価値を置いていません。効果的な指導法を私自身も模索し、いいものがあれば採用し、実施しています。

でも、特定の指導法にこだわる必要はありません。技術の世界は日進月歩です。学校教育の世界は牛歩並みのスピードでしか変わりません。ならば、特定の指導法にこだわることはナンセンスです。勤務校や目の前の生徒の様子に応じてどんどん変化させていくべきでしょう。

最後に残ったものが、「人格」です。

人格とは、「原則」の集積です。つまり、過去から現在に至るまでの人類の叡智の集積です。普遍性が高く、多くの人にその妥当性が認識され、共感され、意思決定の原動力になるものです。

私はこの「人格」に「ビジネス思考」を加えることで、「最強の教師」になれると確信しています。それは、人としての原点に帰り、従来の教師を「捨てる」ことを意味しています。

では、これから先は?

先のことは誰にもわかりません。私個人としては、この7年間の取り組みを継続して、「賞味期限」を延長していくほかないと思っています。

「賞味期限」延長には、セカンドキャリアへの取り組みが不可欠。

さて、今までの話を聴いて、あなたはどう思いましたか?

私たち教師には、確実に「賞味期限」が存在します。
それは、長い教員人生の中で、意外なほど短いと考えられます。

ならば、私たちはその「短さ」を、

自覚し、
「期限」がいつであるかを見定め、
あなたがキャリアの頂点にいない時期に出会った生徒たちの人生に思いをはせ、
「期限」を延ばすために学校や教師を「捨て」、
原則とビジネス思考に基づいた教育を行わなくてはなりません。

教師としての「賞味期限」の存在が自覚できれば、

教師としての自身の幅をもっともっと広げるために、
単なる趣味の領域にとどめることなく、
価値提供ができる分野に投資する必要性を真剣に考えるようになります。

その分野があなたの教師としての仕事と相乗効果をもたらし、互いに刺激し合い、良い影響を与え、新たな価値を生む。

それが、ずっと続いていくんです。あなたがこの世を去るまで。

あなたの「賞味期限」は、あなたが思っているより、短い。

だったら、この仕事をしながらセカンドキャリア構築をパラレルで考えてみませんか?
それはあなたの仕事に刺激を与え、あなたの教師としてのパラダイムを大きく変え、教師としてのあなたをずっと魅力的な存在にしてくれるはずです

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