皆さんこんばんは角松利己です!
唐突ですが、この3月をもって異動することになりました。
*本記事は、2020年3月に書かれたものです。
現在52歳の私は、異動先で最長8年間在籍できることになります。それはつまり、60歳=定年まで勤め続けることであり、もしそうなれば、異動先の高校は、私の教員生活にとって最後の勤務先になるということです。
今日は年度末の職員会議があり、会議が終了した直後、定年退職を迎える同僚と、私と同様に異動する同僚とが会議室の前方に並び、皆が花束をもらいました。
人数が比較的多かったため、挨拶は定年退職を迎える3人の同僚のみでした。内心、「一言くらいは話す時間があるかもしれない」と思っていた私でしたが、それは叶いませんでした。
その時、改めて思ったことは、「私には、皆に伝えたいことがあったんだ。」という点です。そう、私には、僅か3年の付き合いしかなかった同僚に伝えたいことが、気持ちが、山ほどありました。逆説的ですが、その気持ちを伝える時間が取れなかったとき、はじめてその思いを強く感じたんです。
というわけで、今回の記事は、「異動の言葉」です。
伝えきれなかった言葉
実は、現任校の同僚に伝えるメッセージとして、何が一番いいだろう? 私が最も伝えたいことは何だろう? ・・・こんな風に考えること1週間。結局、伝えたいことが定まらなかった私は、過去のデータを探したところ・・・・・・
ありました! 前任校から現任校へ異動する際に、挨拶の言葉として書き留めていたものが。それは3年前に書いたものでした。で、今回改めて読み直してみたんですが、笑っちゃうほどの「メッセージ」になっていました。
私はこの3年間でブログを立ち上げ、その都度思ったことを様々な視点からメッセージとして言語化してきたんですが、3年前に書いた挨拶文は、私が普段、ブログで書いていることそのままでした(笑)。「こんなふうに、私は自分自身の思いをつないできたんだな」、と変に納得してしまったんです。
以下の文章は、私が3年前に書いた「異動の言葉」です。基本的な考え方は、当時も今も変わっていません。ですので、以下に掲載したいと思います。なお、実際の「言葉」は以下の文章とは違った内容で話しました。それに、データとして残っていた文章は、途中で終わっています。つまり、「未完成」なんですね。それでもこうやってブログ記事として掲載したいと思ったのでは、当時と今で、私の思いがそれほど大きくは変わっていないからです。
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異動にあたり
長年、同じ仕事を続けていると、外部に向けたセンサーが鈍ってくるのを感じます。
それは特に、教員という仕事においては顕著ではないでしょうか。
常に子どもを指導・監督する立場にあることは、マンネリ化を生み、社会人としての感受性を鈍らせてしまいかねません。
私がここ数年、ずっと考えてきたこと2つがあります。
1つめは、
「プロの教師とは何か」
ということです。
私にとって、プロの教師とは、
社会の動向を考慮しながら求められる人間像を生徒に提示することと、
生徒が置かれた場所で花を咲かせることのできる人間に育てることです。
これは、「常に理想を追い続けながら現実に根ざした人生を送ることの大切さをわかってもらう」ということです。
私はいつも、生徒に対して理想と現実のバランスについて語ってきました。
そして、私の言葉の重みを理解してもらうためには、私自身が生徒に対して誠実に振る舞うことと、同時に魅力的な人間でいること、簡単に言うと、身近に楽しそうにしている大人がいる姿を生徒に見せることが必要だと感じています。
そして魅力的であるために私が選んだ考え方は、
「教師であることをやめる」
ということでした。
教師を「やめる」
教師のアイデンティティとは何かと問われたとき、きっと以前の私なら、
「より多くの専門的知識を身につけて、生徒を教え導く存在であること。」
と答えていたと思います。
しかし、長年この仕事をやってきて思うことは、
「生徒は簡単に私を超える」
という事実です。
1年に1度くらい、会心の出来と思える授業をしたと思ったこともありましたが、それは私が決めた授業進度、展開、発問などがスムーズに進み、生徒がよく発言するという、典型的な「よい」授業でした。生徒自身の理解度は、考慮されていません。
「教師が教えれば教えるほど、教師自身の授業スキルだけが高まっていく。」
たちの悪いことに、「授業準備」という名のインプットと、「話す・教える」という名のアウトプットを日々繰り返す仕事の特性として、常に「そこそこの」充実感を得られてしまうという落とし穴が、この仕事にはつきまとっています。これだけイン&アウトを繰り返せば、一定の充足感が味わえるのはある意味当然で、しかもその対象が子どもであることがそれに拍車をかけます。
さらに「話す・教える」という行為はこの仕事には不可欠であるがゆえ、私たち教員はそれを簡単に手放すことができないという事実があります。「教える」ことの放棄は、「教師としてのアイデンティティの放棄」に繋がるからです。
先にも言いましたが、私は「教師をやめよう」と思いました。
深い思考につなげるための発問づくりと、それを円滑に行うための教室の雰囲気作りに焦点を当てて授業をする。それが長期的に見た生徒の将来像や現実社会に対応するあり方だとの思いを持っています。
だからこそ、社会のどの職種よりも率先して、学校には「変化」を求める姿勢が必要なのです。
私の立ち居振る舞いの全てが生徒に伝わる。その思いを毎日自分に言い聞かせながらここまできました。私の言葉と言うよりも、私の全人格そのものの与える影響力に、アンテナを張ってきました。
あなたは明日、この世を去る
ずっと考えてきたことの2つめは、
「私は、そう遠くない将来、死んでしまう」
ということです。
それがいつになるかはわかりませんが、今から4年前、45歳の時に、そういうことをふと思いました。
現在49歳である私は、60歳で定年を迎えた場合、あと11年しか教壇に立てない。だから、本当に大切なこととは何かを常に考え続け、その都度、目の前の生徒に伝えていかなければならないと思っています。
また、私たちが生きている毎日は、学校の中だけのことではありません。
仕事、家庭、家族、学校外でのコミュニティ、さまざまな顔を私たちは持っています。
私は、私のエネルギーの7割を仕事に、2割を家庭に、1割を自分のために使っていますが、これはいかにもバランスが取れていません。
私には、いくつか大切な懸案があります。
たとえば、一緒に住んでいる家族との関わり、実家にいる家族との関わり、定年後の社会との関わりです。
私を取り囲んでいる様々な側面のうち、どれか1つがうまくいかなくなったら、必ず他の部分に支障が出ます。今は幸せなことに、たまたま何も問題が表面化していないだけです。
「うまくいかない部分をうまくいっている部分で補完する」、という考え方は、私は好きではありません。なぜなら、死を迎えるとき、必ず後悔すると思うからです。
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ここまで。
時間は歩みを止めない
話が終わっていないので非常に歯切れの悪い文章になっていますが、読み返しながら、改めて思ったことがあります。
それは、「3年前の当時も、3年後の今でも、伝えたいことは変わっていない」ということです。
同時に、変わったことが一つ。
「49歳の私は、あと11年しか教壇に立てない。」
この部分が、それぞれ「52歳」と「8年」に変化しました。
3年前のあの日から、はっきりと時間だけは過ぎていっているのです。
私は、自分自身に問いかけます。
「この3年間で、お前はどう変化した?」
「この3年間で、自分の理想にどれくらい近づくことができた?」
「この3年間で、お前はまた一歩、死に近づいた。ところで、あと何年生きられると思っているんだ?」
私の答えは、こうです。
「私は3年前に比べ、あまり変わっていないのかもしれない。ただ4月からは、残りの8年間がスタートするんだ。半年単位で大きなスキルを身につけて、まずは3年間頑張ってみる。チャレンジは、ひと月単位でやらなければならない。狙いを定めさえすれば、ひと月で何らかの結果が出せるはずだ。チャレンジしなければ、失敗もない代わりに成功もない。ゴールを明確にイメージして、投資を惜しまず、地道な努力を続けよう。」
異動にあたり、未来の自分に背かぬよう。
公立高校の現役教師。教員経験28年(2021年3月末現在)。「教師は、仕事&私生活&リタイア後の人生、すべてにおいて成功すべし!」が信条。教師が成功すれば、学校は変わり、生徒も魅力的な大人に成長します。まず教師であるあなたの成功を最優先課題にしましょう。
☑心理学修士(学校心理学)
☑NPO法人「共育の杜」オンラインサロン『エンパワメント』専任講師
☑一般社団法人7つの習慣アカデミー協会主催「7つの習慣®実践会ファシリテーター養成講座」修了。ファシリテーターを3年務め、セミナーを開催。
☑ハンドルネーム「角松利己」は角松敏生から。
「原則」&「ビジネス思考」で、教師が自由になるための方法をお伝えします。